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2.10.26

マーキン賞の受賞

  マーキン賞の受賞



掲載が少し遅れることになりますが。。。

今年2026年6月15日に、人工内耳を研究・開発し、道を作ってきた先駆的な研究者や技術者にMerkin賞(医生理技術における功績をたたえる賞)が送られています。


人工内耳は、今では100万人以上の人々に聴覚をもたらし、音声によるコミュニケーションを行えるようにした画期的な機器。

大きな波として世界中で使われるようになった人工内耳の、その波を起こし軌道に乗せてきた方々を称賛しての、授賞です。


重度になるともう手段はない、と放置(まあ、手段がなかったわけですから)されるしかなかったものが、聞こえが入るようになる。。。これは本当に考えられなかった驚きです。

友人との会話でも、皆で集まる会合でも臆することなく(う~ん、心底ではひやひや臆していますが)、顔を出せるようになるのですから。


人工内耳に貢献した受賞者の一人、Blake Wilson氏(他の受賞者達は年齢順に、Clark氏、Merzenich氏、Hochmairご夫妻)が、以前の講演(2014年12月掲載『ラスカー賞受賞者の講演ビデオレビュー』項を参照)で話していましたが、各メーカーの先駆者達は朋友、一緒に人工内耳開発を推し進めてきた、とのこと。

過去半世紀以上も前からこうしたことに取り組み始め、その大きな課題や困難にも負けず、今の恩恵をもたらしてくれた先駆者達には感謝しかありません。


半世紀以上前の時代とは、どんな時代だったのでしょうか。

ネットで調べてみると、1960年代は。。。

ドイツのベルリンの壁が(壊されたのではなく!)作られた時代。

ベトナム戦争が始まり、アメリカも介入参戦した時代。

そして宇宙では、アポロ11号が初めて月面着陸した時代。

日本では、新幹線が初開業し、アジア初の東京オリンピックが開催された時代。


1970年代は。。。

アメリカでは、ニクソンショックが起こった(その余波で1ドル360円の固定レートが崩れた)時代。

中東戦争を機に、世界中がオイルショックにガンガン振り回された時代。

中国では、文化大革命が終わり、改革開放政策が始まった時代。

日本では、宮城県沖地震に代表されるような地震、多数の被災者を出した豪雨、豪雪、台風が続いた天災の多かった時代。

大阪万博が開かれ、街中を走っていた路面電車が地下鉄に変わりつつあった時代。


こんな時代に、耳の治療に人工内耳手術を!と叫ぶのは、どこにおいても異端視されるものではなかったでしょうか。

実際、早くにスタンフォード大学で人工内耳を手掛けていたSimmons Blair氏は、トップレベルのエンジニア達の興味を引くことができず。。。とあきらめたいきさつを記しています。

1973年にサンフランシスコの人工内耳研究者達が引率して「重度感音難聴治療としての聴神経電気刺激に関わる第一回国際会議」を開催(2014年8月掲載『人工内耳の選定』項)していますが、その時にも多くの反対デモにあっていたとか。。。

各地にいる開発者達が当時の連絡方法で連絡を取り合って結束し、情報を共有して助け合い、皆で推進していかなければ、起こした波をうねらせることは難しかったのではないでしょうか。


その以前に、William House氏が単電極人工内耳を世界に流通させ(これは絶対に勇気がいる!)、それが世間の考え方を動かし始めていたということは、大きなステップになったと思います。

それぞれのメーカーの開発者チームに優れた医生理学研究者が集まったことも、コード化法を公有財産としてくれたWilson氏のような方がいたことも、心臓ペースメーカー及びその技術者達のバックアップがあったことも、国が支援レベルの技術と認証してくれたことなども。。。この波を大きなうねりとするのに追い風となったと思います。

この波が、今では多くの人の耳となって生活を助けてくれています。


受賞された開発者達、その開発チームで活躍してくれた研究者達、土台となってきた多くの研究者・実践者達に、あらためて深く感謝します。

そして、人工内耳がまだ未知のものであった時代に手術にのぞんで、難聴者が続いていける道を開いてくれた初期の装用者やボランティア、乳児だった方達にも。。。


(古いPCのファイルにおさめていた日本語のドキュメントを幾つか見つけて読んでいましたら、日本の各地でも人工内耳黎明期には研究や開発に挑んだ研究者達がいたのだろうと思えました。

Blair氏のように、支援者や技術者の興味を引くことができなかったのかも。。。運や人脈、倫理観や時代背景などにもよる、ということなのでしょうか。)







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