2.2.25

聴覚障害と認定基準について

 聴覚障害と認定基準について



現在、米国では人工内耳の装用基準を”60-60”に、という流れが生まれているもよう。


この"60-60”とは何ぞや?

”60-60”のうち、前半の”60-”は聴力レベルの60dBHLを示しています。

この60dBHLとは、補聴器を使ったとしても、学業でも就業でも小さくはない支障が出ているレベルです。

60dBHL以上の聴力レベルでは、調整がよく効く補聴器の購入が必須となっているでしょう。


"60-60”のうち、後半の”-60”は語音明瞭度の60%以下を示しています。

この60%以下という語音明瞭度は、デジタル補聴器を使用したとしてもコミュニケーションが難しく、音を理解する補助に、視覚、蝕覚、推測も駆使しているのではないでしょうか。


そういう不自由さを鑑みて、”60-60”のレベルでは人工内耳が推奨される、という流れになってきているのですが、その根底には、このレベルになると人工内耳の方が良い聞こえを提供する、という見解があるからです。


この”60-60"に、日本も準じるようになった場合、現在ある聴覚障害認定制度とのギャップが生まれるという問題が生じます。

聴覚障害の認定を受けていない層の手術ということになり、医療現場でもやりにくいものが出てくるのではないでしょうか。

(高額医療費を活用できるとはいえ。。。)

(おあしす注: 高額療養費のこと。)

この際、人工内耳を装用するかしないかは別問題として、聴覚障害の認定の見直しをしてもよいのではないでしょうか。

以前、そのような声が上がっていたようですが、今の制度を50dBから、と見直すというのは伝音性難聴の関係もあって難しいものかもしれません。


なら、聴覚レベル60dB以上で聴覚障害認定の級をつけるのはどうでしょう。

伝音性難聴でも、中耳などの手術をして予後が良くなる方はいいのですが、補聴器装用だとこのレベルになると聴取は厳しくなってくると思いますし。


他には、聴力レベルはそこそこ良いけれど、補聴器を使用しても明瞭度60%を満たさない感音性難聴の方。

2018年12月の『人工内耳の日のイベント』項でも、耳鼻科医との質疑でこの問題に触れたのですが。。。

人工内耳の適応になる障害かどうかは不明として、補聴器をつけるとかえって聞き取りにくくなってしまう(裸耳の明瞭度より悪くなる)ような聴覚障害の方もいらっしゃる。

4級の身体障害者認定基準は語音明朗度が50%以下のもの、となっており、70dBレベルに満たない聴力の場合、裸耳の語音明瞭度が50%を超えると聴覚障害認定に該当しない。

このような聴覚障害者への配慮も考慮して、認定基準の見直しができないものでしょうか。


・聴力レベル60dB以上から

・感音性難聴60dB未満、OAE良好、補聴器使用で語音明瞭度60%以下から

を聴覚障害認定に加えることはどうなのでしょう。


将来に向けて、認定基準を”60-60”の風潮に準じるものに見直しては。。。という提案です。










マップが合わない時 その4

 マップが合わない時 その4



2020年10月の『マップが合わない時』項で、「マッピングの設定や感覚の一致を分かりやすく」と記していたのですが。。。そのことに触れます。


マップの設定は、各自に合わせた電極アレイの形態、位置決めした電極と神経との間隔、それに見合った刺激方法や符号化など、いろいろな術後状況で各自異なる結果になるので、それぞれの担当の調整者さんとやりとりしながら調整を、というしかないのですが、一般的な話として、自分でマップと感覚の合致を知る簡単な方法を。。。

(勿論、これは成人装用者に関してです。これから言葉を覚えていく乳幼児ではありません。)


おおざっぱなものではありますが、自宅でできて本人にも分かりやすい、一番手軽で簡易な判断方法は、というと。。。

別段、特別なことでもなくて、日本耳鼻咽喉科頭頚部外科学会の発表した指針にも書かれていることなのですが。


2024年4月の『人工内耳のアップグレード指針』項を覗いてみてください。

新機種へのアップグレード指針を載せています。

静寂下、65dBSPLの刺激音を1m離れたスピーカで提示した時の人工内耳での単語検査の明瞭度が80%。。。云々が書かれています。


この音量、65dBSPLの声は1m離れた普通の会話音。

一般的な人工内耳の聞こえというものは、静かな環境条件において、1m離れた普通の音声での単語や文章の聞き取りで平均的におおよそ80%以上の聞き分けが可能、ということです。

(CI2004検査は通常の語音明瞭度検査のことではなく、又、%の評価も同等ではありません。)


1m。。。つまり、普通会話の距離と音声で、単語や文章の聞き取りがよく聞きとれていることが大事。

これはイコール、感覚が合っているということ。

そして、快適域も合っている、ということなのです。


2016年8月の『聴覚と末梢神経障害2』項で、オーストラリアでの発表を囲み引用しているように、もうずいぶん以前から人工内耳装用(SPEAK法)しての人工内耳のみで、CID文章正答率が平均的に80%とされています。

(それ故に人工内耳の手術の適応基準は裸耳の良耳50%なら考慮、となった次第で。。。)


聞き取りの様相をきちんと知りたい方は、人工内耳を装用して、1m距離から何らかの単語の聞き取りテストを記録してみてください。

家族や友人にランダムに単語を選んでもらい、或いはレコーダーやスマホで聞きやすい単語集を使い、1か月ごと、1年ごとなど、期間を決めて。


装用当初はともかくとして、調整が落ち着いた後は経時的に良い明瞭度が続くようになっていくと思います。

これが同じ環境条件で、安定せずデコボコしていたり、音量を上げなければ良く聞き取れなかったり、或いは煩くて音量を下げなければ分かりにくかったりすると、快適域が合っていない、ということなのです。

自分でできる音量調整をしても解決しない場合は、マップ調整者に相談し、明瞭度が良く落ち着くように調整してもらってください。

調整しても良くない場合は、アップグレードの機種の方がよりアシストが効くかもしれません。


こうした記録を医療機関でやっている人もいると思いますが、装用当初のうちは定期的につけておく、或いは記録をもらっておくと、異常発生時の参照比較にもなり、マップ必要の発見が早くなりますし、聞き取りの変化も確認できます。

家族から最近聞き取り悪くなったね、と言われたりするより、数値で確認出来る方が自身も納得しやすいのではないでしょうか。


(追記: 適当でもよいという人は、身近な人との普段の会話での聞き取り具合を、時々に比較してみる程度でもいいかのもしれません。

過去の記憶などは曖昧になりがちで当てにならないのですが、アバウトな過ごし方でも長い目で見れば結果的にそんなに変わらないかも。)


2.12.24

更新報告

2024年12月 更新報告



今年2024年最後の更新です。

新年2025年が素晴らしい年になりますように。。。


新規:『人工内耳の年末大掃除』項、掲載しました。



人工内耳の年末大掃除

人工内耳の年末大掃除



手術を受けてから後半年ほどで20年に。。。早いものです。

外部機はその間に故障や寿命が起こり、機種交換するということはありました。

幸いなことに大きな問題はなく、最後に交換して以来、マップをいじることもなく今まで来ています。

(一度外部機が止まってしまったことがありましたが、しばらくして再起動するようになりました。)


内部機の方はもしものことがあると手術が必要なので、交換不要レベルのものでなければ困るのですが、20年近くになっても問題なく、もはや内部にものが入っていることを感じないくらいになっています。


こうした経験からですが。。。成人ではともかく、乳幼児時に装用したとしても、その後、成人になって社会に出たり家庭を持ったとしても、内部機は十分安泰、ほぼ永久的な頑丈性はありますよ、と。

(不測の事故などはあるのかもしれませんが、一般的に。。。)


ただ、正直に言って、今でも聞こえ方には、満足と思える時もあれば、なんだか奇妙に滲んだ聞こえと思える時もある。


この間など、静かなところで初対面の人含めて5人くらいで小さめのテーブルを囲んで話をしたのですが。。。

会話全体が解像度がダウンサイズしたような判別不能な発音に聞こえていたり、かと思うと、ところどころで単語が明瞭な発音で聞こえてきたり。。。

静かなところでも、5人くらいの複数人となると、それぞれの人のホルマントに機械が合わせるのが困難になる(遅延が妙に大きくなってしまう?)ということなのでしょうか。

(そういう聞こえになっている時は、自分の声も違う聞こえになるので話しづらい、聞こえに合わせると発音もおかしくなり、リズムやタイミングもおかしくなり、何だかとても普通になど話せない感覚、黙って聞いていた方が良いかもという感覚。。。それは日本語であろうと同じで、分からない箇所の聞き返しをしたら、というレベルではなく。。。)


特に、早口やはっきりしない馴れ口のような場面では、私の英語聴取能力というより、機械の音声解像能力がついていけてないということの方が大きいような気がしています。

判別不可能な音の流れの中にも、そのうちからいきなり単語や単音が明瞭化する時があり。。。

話者が強調して話す部分とか、話の区切りとか、慣用句とか、何か明瞭になる条件があって機械判別がやっと追随するということなのでしょうか。

そうした時々ながらも耳に入ってくる明瞭化した単語を、判別不能のヘナヘナ部と推測でつなげて、会話を理解するという聞き方になっていました。

(私は片耳装用なので、反対耳側に座っている人の声は頭を回り込んで入ってくる言葉しか聞き取れず、その影響が多分にあるのかもしれないのですが)


それからまもなくの日、今度は大きいテーブルを又複数人の4名で囲みました。

今度は既知の者ばかりで、私の人工内耳聴取のことも知っている人ばかり。

テレビなどついていないリビングで、3人とも皆、私の前方側に座り、はっきりめに話してくれるし、話す間隔も十分とってくれている。

テーブルが大きいので、その距離分、聞き取りにくくて判別しにくい声という聞こえはありましたが、入ってくる音声は大きいのに音声自体が判別不能な滲み方をする、という先日5名でのような聞こえ方にはならない。

勿論、私の英語能力からや、話が早まってしまってわかりにくくなった場面もありましたが、分かりにくい部分について聞き返して教えてもらうことができる。


こういう聞こえ状態のときは、日本語でなら分かり難かった部分を聞き返したりできるのですが、英語でもそれに近い聞き方ができるということで。。。

英語を話すときは、ある程度リズム感が必要なのですが、そうしたリズム感が不自然なく出てくる。


人工内耳は、生身の耳よりは音声認識機器に近いのかもしれない。

フィルタ分けのデータに近似がないような初めての話者の場合、きちんと判別することができず、滞ってしまう(遅延ぎみ)のではないでしょうか?

それとも、環境に応じた自動調整が聴取音声に影響してしまう現象なのでしょうか?

静かな場所での会話やはっきりした言葉は語音弁別し易く、うるさい場所や多人数では(今は以前より雑音抑制は良くなっていますが)各個人の会話スピードやホルマントの変換などでカオス化する。

人工内耳に馴染んでしまうと、人工内耳の聞こえが自分の耳の聞こえの感覚になってしまうので。。。これって、滲んだ聞こえを自分の能力ミスととってしまう感覚になるのでは?  

メンタル的にそういう感覚になっておかしくない感じがします。


他の人工内耳装用児、装用者の方々はもう既知で、それぞれ対処されていることかもしれないのですが。。。

これはもう、機械の限界と割り切るしかないような。。。


人工内耳を装用するということは、聞こえを利用して普通に幸せに生活しよう、ということが目的の筈。


聞き取りが良い時ばかりではなく、聞き取りが悪い場面も同じく出てくるのが実際なのですが。。。

変な言い方ですが、良いときのみに目を向けて、と。

良いときのほうが多いではないですか。

聞こえなければ体験できなかったことも多い。

悪いときに目を向けると、沼にはまってしまいます。

時に起こる悪いときは、循環を断つためにもスパッと忘れて、人工内耳はよく聞こえる時もあれば、こういうことも起こるものだと割り切って、と。


何だか変な内容になりましたが、年末ですからね。

参加するイベントも多くなる、聞き取り良し悪しの波が押し寄せる年末です。

また始まる新年に向けて、人工内耳の聴取の悪い時についての大掃除も大事。。。