聴覚とボイスイルミネーション
小学の頃、授業中にちょくちょく脱線話をする先生がいて、その話が教科書よりも何倍も面白い。
「科学」と「化学」、どちらも理科の科目でどちらも「かがく」と読む。
誤解が生まれ易いから「化学」の方は「ばけがく」と読む。
ウィキペディアどころかインターネットなどもない時代、そういうことを知ったのも脱線話からで、その後、ニックネームに「ばけ」や「け」「げ」を付けて呼び合うことが流行ったり。。。
色々な話を聞いたと思うのだけど、強い思い出に残っているのは、
「ここ教室にあるものは全て色なんてついていない。
太陽の光も同じ。
なぜ、赤や青、黄色と色が見えるのか。
私達の脳がその色を弁別するからだ。」
という話。
真偽のほどはわからないのだけど。。。不思議な話で。
その後、中学でも高校でも光の三原色や色の三原色を学ぶことになるのだけれど、その都度、この話が脳裏をかすめていました。
先日、千葉県での技能五輪全国大会を見学に行ったのだけれど、その会場に張られていた「ボイスイルミネーション」課題展示を見た時も、その不思議な話を思い出していました。
末端で周波数分析されたものを、脳がまた別に感覚的に判断する?
音も、「ボイスイルミネーション」課題にあるように周波数分析できる振動波であるだけ。
本当は空気が揺れているというだけで、無音?
音として認識するのは、音周波数に鼓膜が震えたり蝸牛が反応したりして脳に判断させるからなのかなぁ。。。?と。
人工内耳の刺激なんてどうなのでしょう。
人工内耳の外部機が入力されてくる音波を周波数分析して内部機に信号送信、内部機がその信号に基づいて電極に分配してくれます。
その刺激を脳が音として認識するのだけど、音波ではなく信号コードによってパターン化された刺激を、音を聞くのと同じように脳が判断するようになる、というのはなんか凄いことではないでしょうか。
ここで私も脱線話。
最近、ギフトとして貰ったペイントセットで絵を描いていました。
自賛したいところですが、この作品の出来上がりにはタネが。。。
キャンパスとなる下地に初めから番号が振られてあって、その番号の通りに色を選択して塗っていけば、上の絵の通りに仕上がるということなのです。
下の絵が種明かし。
以前、壁のペイント補修をするためにペンキ屋さんに壁のペンキを少し持ち込んだところ、分析器にかけて何色がどのくらいの%でまじりあっているか解析して、全く同じ色に調合したペンキを売ってくれました。
人の目より分析器の方が確かになってる。
上のペイントセットも制作会社が下の絵画写真をおそらくはコンピューターか何かで分析して、色の割振り(この絵画の割振りは粗い方だと思いますが)をして番号付け(コード化)したということなのでしょう。
出来上がった絵画だけを見れば、まぁうまい風景画だなぁと思いますが、下の絵画写真と比べるとちょっと色の割振りが粗くて抽象画になっている、という印象を受けると思います。
(この下の絵画写真も、実際に目で目で見る風景と比べると、色が単純できつく目で見るほどの拡がりや色調がない、という印象を受けると思いますが。)
それでも脳では風景だと分かりますし、空の色彩も山の風景も草原の色合いもそれなりに理解して、良い絵画だなぁという印象をもたらします。
判断能力の幅が広いというか、これが脳の可塑性なのでしょうね。
脳というのはブラックホールのよう、なんと奥深い膨大なる才能を持っているのだろう、と思ってしまいます。
人の聴覚の伸張も、人工内耳のマッピングも。。。
耳は鼓膜や蝸牛で周波数弁別して神経や脳に情報を送りますが、人工内耳は音をコード化して電極経由で神経や脳に情報を送ります。
コード化は限られているけれど、脳はそれをさらに拡げられる可塑性を持っているのでしょう。
あらゆる感覚を統合して、音は単なる音ではなく、それぞれ個人の感覚として色づけられた聞こえとして成り立っていく、小学校の先生が言っていたのはそういうことなのかなぁ。。。と。
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