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2.12.24
人工内耳の年末大掃除
人工内耳の年末大掃除
手術を受けてから後半年ほどで20年に。。。早いものです。
外部機はその間に故障や寿命が起こり、機種交換するということはありました。
幸いなことに大きな問題はなく、最後に交換して以来、マップをいじることもなく今まで来ています。
(一度外部機が止まってしまったことがありましたが、しばらくして再起動するようになりました。)
内部機の方はもしものことがあると手術が必要なので、交換不要レベルのものでなければ困るのですが、20年近くになっても問題なく、もはや内部にものが入っていることを感じないくらいになっています。
こうした経験からですが。。。成人ではともかく、乳幼児時に装用したとしても、その後、成人になって社会に出たり家庭を持ったとしても、内部機は十分安泰、ほぼ永久的な頑丈性はありますよ、と。
(不測の事故などはあるのかもしれませんが、一般的に。。。)
ただ、正直に言って、今でも聞こえ方には、満足と思える時もあれば、なんだか奇妙に滲んだ聞こえと思える時もある。
この間など、静かなところで初対面の人含めて5人くらいで小さめのテーブルを囲んで話をしたのですが。。。
会話全体が解像度がダウンサイズしたような判別不能な発音に聞こえていたり、かと思うと、ところどころで単語が明瞭な発音で聞こえてきたり。。。
静かなところでも、5人くらいの複数人となると、それぞれの人のホルマントに機械が合わせるのが困難になる(遅延が妙に大きくなってしまう?)ということなのでしょうか。
(そういう聞こえになっている時は、自分の声も違う聞こえになるので話しづらい、聞こえに合わせると発音もおかしくなり、リズムやタイミングもおかしくなり、何だかとても普通になど話せない感覚、黙って聞いていた方が良いかもという感覚。。。それは日本語であろうと同じで、分からない箇所の聞き返しをしたら、というレベルではなく。。。)
特に、早口やはっきりしない馴れ口のような場面では、私の英語聴取能力というより、機械の音声解像能力がついていけてないということの方が大きいような気がしています。
判別不可能な音の流れの中にも、そのうちからいきなり単語や単音が明瞭化する時があり。。。
話者が強調して話す部分とか、話の区切りとか、慣用句とか、何か明瞭になる条件があって機械判別がやっと追随するということなのでしょうか。
そうした時々ながらも耳に入ってくる明瞭化した単語を、判別不能のヘナヘナ部と推測でつなげて、会話を理解するという聞き方になっていました。
(私は片耳装用なので、反対耳側に座っている人の声は頭を回り込んで入ってくる言葉しか聞き取れず、その影響が多分にあるのかもしれないのですが)
それからまもなくの日、今度は大きいテーブルを又複数人の4名で囲みました。
今度は既知の者ばかりで、私の人工内耳聴取のことも知っている人ばかり。
テレビなどついていないリビングで、3人とも皆、私の前方側に座り、はっきりめに話してくれるし、話す間隔も十分とってくれている。
テーブルが大きいので、その距離分、聞き取りにくくて判別しにくい声という聞こえはありましたが、入ってくる音声は大きいのに音声自体が判別不能な滲み方をする、という先日5名でのような聞こえ方にはならない。
勿論、私の英語能力からや、話が早まってしまってわかりにくくなった場面もありましたが、分かりにくい部分について聞き返して教えてもらうことができる。
こういう聞こえ状態のときは、日本語でなら分かり難かった部分を聞き返したりできるのですが、英語でもそれに近い聞き方ができるということで。。。
英語を話すときは、ある程度リズム感が必要なのですが、そうしたリズム感が不自然なく出てくる。
人工内耳は、生身の耳よりは音声認識機器に近いのかもしれない。
フィルタ分けのデータに近似がないような初めての話者の場合、きちんと判別することができず、滞ってしまう(遅延ぎみ)のではないでしょうか?
それとも、環境に応じた自動調整が聴取音声に影響してしまう現象なのでしょうか?
静かな場所での会話やはっきりした言葉は語音弁別し易く、うるさい場所や多人数では(今は以前より雑音抑制は良くなっていますが)各個人の会話スピードやホルマントの変換などでカオス化する。
人工内耳に馴染んでしまうと、人工内耳の聞こえが自分の耳の聞こえの感覚になってしまうので。。。これって、滲んだ聞こえを自分の能力ミスととってしまう感覚になるのでは?
メンタル的にそういう感覚になっておかしくない感じがします。
他の人工内耳装用児、装用者の方々はもう既知で、それぞれ対処されていることかもしれないのですが。。。
これはもう、機械の限界と割り切るしかないような。。。
人工内耳を装用するということは、聞こえを利用して普通に幸せに生活しよう、ということが目的の筈。
聞き取りが良い時ばかりではなく、聞き取りが悪い場面も同じく出てくるのが実際なのですが。。。
変な言い方ですが、良いときのみに目を向けて、と。
良いときのほうが多いではないですか。
聞こえなければ体験できなかったことも多い。
悪いときに目を向けると、沼にはまってしまいます。
時に起こる悪いときは、循環を断つためにもスパッと忘れて、人工内耳はよく聞こえる時もあれば、こういうことも起こるものだと割り切って、と。
何だか変な内容になりましたが、年末ですからね。
参加するイベントも多くなる、聞き取り良し悪しの波が押し寄せる年末です。
また始まる新年に向けて、人工内耳の聴取の悪い時についての大掃除も大事。。。